【小説】エルザ 「腐蝕の聖女と死にたがりの騎士」
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第1部 平穏な日常(という名の地獄)と事件
1. 花畑の捕食者
国境沿いの街道に、季節外れの花畑が広がっていた。
陽光を浴びて咲き誇る黄色い野花。蝶が舞い、風が甘い香りを運ぶ、絵画のような春の光景。
そのど真ん中を、一本の「黒い線」が切り裂くように伸びていた。
黒い線の正体は、ひとりの少女の足跡だ。
彼女がブーツの底を地面につけるたび、鮮やかな花々は瞬時に茶色く枯れ果て、崩れ、ドロドロの黒い土へと還っていく。まるで死神が散歩をしているようだった。
「……はぁ」
少女――エルザは、深いため息をついた。
白磁のように滑らかな仮面の下で、彼女の眉間には深い皺が刻まれている。身に纏うのは、目が眩むほど純白の、金糸で刺繍された聖職者のローブ。手には肘まである長いシルクの手袋。
聖女。誰もが彼女をそう呼ぶ。だが、彼女が通り過ぎた後には、ペンペン草一本残らない。
「綺麗なお花。……一輪くらい、髪飾りにしたかったな」
エルザがそっと、道端の花に指先を伸ばす。
しかし、手袋の布地が花弁に触れるか触れないかの距離で、花はジュッという嫌な音を立てて灰になった。
エルザは無言で手を引っ込める。慣れている。この十七年間、ずっとこうだ。
「おや、珍しい。聖女様がセンチメンタルに浸っているとは」
背後から、野太く、それでいてどこか楽しげな声が掛かった。
振り返ると、そこには奇怪な光景があった。
全身を重厚なプレートアーマーで固めた巨漢の騎士が、体長三メートルはある巨大な狼型魔獣(フェンリル)に、頭からガブガブとかじられているのだ。
「……何やってるの、ガラハド」
「見て分かりませんか? 捕食されています」
騎士ガラハドは、魔獣の口の中に上半身を突っ込まれたまま、器用に親指を立てた。
グチャ、ゴリ、と金属と骨が砕ける音が響く。
「この個体の消化液は素晴らしいですよ。私の兜が飴細工のように溶け始めました。頭皮に直接酸が触れる感覚……ああ、これならあるいは、脳まで溶かし切ってくれるかもしれない」
「汚い。食事の邪魔をしないであげて」
「何を言いますか。私が食事そのものなんですよ」
魔獣が唸り声を上げ、ガラハドの胴体を食いちぎろうと首を振る。だが、ガラハドの体は異常な速度で再生していた。砕かれた肩の骨は瞬時につながり、溶けた皮膚からは新しい肉が盛り上がる。
死ねない男。不死の呪いを受けた元英雄。
彼はこの世のあらゆる「死」を試食するために旅をしている、筋金入りの死にたがりだった。
「聖女様、貴女も試してみますか? 首の骨がへし折れる瞬間、走馬灯が見えるらしいのですが、私はまだ青空しか見えなくて」
「お断りよ。……それに、急いでるの。次の村まであと少しなんだから」
エルザは冷淡に言い放つと、魔獣に向かって右手をかざした。
手袋を外す必要すらない。彼女の殺意が指向性を持ち、空間を伝播する。
「『土に還りなさい』」
言葉は、絶対の命令だった。
魔獣の動きが止まる。次の瞬間、その巨体がサラサラと音を立てて崩れ落ちた。
肉も、骨も、内臓も。すべてが乾燥した砂となり、風に吹かれて消えていく。後には、砂まみれになったガラハドだけが残された。
「……あーあ」
ガラハドが起き上がり、兜の隙間から砂を吐き出す。
「もう少し待ってくれれば、酸で心臓が溶けるところだったのに。貴女の出力調整はどうなっているんですか? これじゃあただの『瞬殺』で、死の余韻も楽しめない」
「うるさいわね。魔獣の体液で服が汚れたら、クリーニング代あんたに請求するから」
「私の装備もまた錆びてしまった。貴女の腐敗能力は、財布に優しくないですねえ」
ガラハドはボヤきながら、自分の頭蓋骨が露出している頭を撫でた。見る見るうちに皮膚が再生し、整った、しかし古傷だらけの精悍な顔貌が戻っていく。
彼は懐から手鏡を取り出し、顔をチェックする。
「おや、鼻の骨が少し曲がって再生してしまった。……まあいいか、どうせまたすぐ死ぬんですし」
「その頭蓋骨しまってよ。気持ち悪い」
「仰せのままに。貴女の仮面よりは愛嬌があると思いますがね」
凸凹コンビは再び歩き出す。
死にたい騎士と、殺したくない聖女。
二人の足跡は、片方は黒く腐り落ち、片方は血で濡れていた。
第二部につづく
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