オサムが深掘り!『呪術廻戦』の「呪力」とは?「気」や「魔力」と何が違うのか考察
- Ka T
- 11月9日
- 読了時間: 4分
こんにちは!漫画ブロガーのオサムです。
これまで『呪術廻戦』のキャラクターや術式の元ネタを深掘りしてきましたが、今日はさらに一歩踏み込んで、作品の根幹である「呪力」そのものについて考察してみたいと思います!
ファンタジー作品には「魔力(マナ)」、中華系作品には「気」といった力が登場しますが、『呪術廻戦』の「呪力」はこれらと何が同じで、何が違うのでしょうか?
私の愛読書『魔法辞典』を片手に、オサム独自の視点で深掘りしていきます!
1. 『呪術廻戦』における「呪力」とは?
まず、作中での定義をおさらいしましょう。
「呪力」とは、人間の負の感情(恐怖、憎悪、嫉妬、後悔など)から生まれるエネルギーのこと。
これが人間から漏れ出すと「呪い(呪霊)」となり、呪術師はこの呪力をコントロールして術式を発動させます。
この「負の感情から生まれる」という点が、最大のポイントですね。
2. 「呪力」と「気」の違いと共通点
まず、東洋思想における「気」と比較してみましょう。
『魔法辞典』によると、「気」とは万物を構成する元素であり、同時にそれらを動かし循環させる神秘的な力とされています。古代中国の思想書『荘子』では、「人間は気の集まったものであり」と説かれています。
共通点:
どちらも人間の生命活動の根源にあるエネルギーであるという点です。中国医学では、この「気の流れ」が滞ると病気になると考えられています。これは、負の感情(ストレス)が溜まると呪力が澱み、呪いを生むという『呪術廻戦』のロジックと非常によく似ています。「病は気から」と言いますしね。
相違点:
「気」は基本的に中立的な生命エネルギーそのものを指します。対して「呪力」は、あくまで「負の感情」というネガティブな側面から生まれるエネルギーとして特化されています。
「気」が生命全体を動かすガソリンだとしたら、「呪力」はエンジンの不完全燃焼によって発生する排気ガスのような、ネガティブな副産物としてのエネルギーと言えるかもしれません。
3. 「呪力」と「魔力(マジック)」の違いと共通点
次に、西洋ファンタジーでお馴染みの「魔力(マナ)」や「魔術(マジック)」と比較します。
『魔法辞典』では、魔術を大きく二つに分類しています。
魔術 (Magic): 自分の力(修行や秘密の知識)で人間以上の力を発揮すること 。
奇跡 (Miracle): 自分以外の何者か(神、精霊、悪魔など)に力をふるってもらうこと 。
共通点:
呪術師が「呪力(自分の力)」と「術式(知識・才能)」を使って超常的な現象を起こす点は、①の「魔術」の定義とほぼ一致します 。呪力を使って式神を呼び出すのは、②の「奇跡」の側面(他者の力を借りる)とも言えますね 。
相違点:
やはりその源泉です。
一般的なファンタジーの「魔力(マナ)」は、世界に満ちる中立的なエネルギーや、自然の力として描かれることが多いです。
しかし「呪力」は、あくまで人間の内面、それも「負の感情」という一点からのみ供給されます。さらに、呪力はそれ自体が「呪霊」という人類の脅威を生み出す源でもある、という点が極めて独創的です。
オサム的考察:なぜ「呪力」は「負の感情」なのか?
では、なぜ作者は「呪力」の源を「負の感情」に設定したのでしょうか?
『魔法辞典』の「魔法のはじまり」という項目に、私はヒントを見つけました。
けれども、恐ろしい自然、肉食獣などの脅威が、人類の手に届かないものとしての神・精霊をうみだしたのと同時に、そのような手の届かないものに手を届かせる術としての魔法がうまれたのではないだろうか。11
つまり、現実世界の「魔術」や「呪術」もまた、元をたどれば「恐怖」や「不安」といった人間の負の感情に対処するために生まれた技術だったのです 2222。
『呪術廻戦』は、この魔術の最も原初的な動機である「負の感情」そのものをエネルギー源として設定しました。
だからこそ、『呪術廻戦』のバトルは単なる異能力バトルに留まらず、人間の業や苦しみといった生々しいテーマと直結し、私たち読者の心を強く揺さぶるのではないでしょうか。
まとめ
『呪術廻戦』の「呪力」は、
「気」のような、人間の内側から湧き出す生命エネルギーとしての側面
「魔力」のような、超常的な力を発揮するための技術的な側面
この二つを併せ持っています。
しかし、その源泉を「人間の負の感情」という一点に絞り込んだことこそが、『呪術廻戦』を唯一無二の作品にしている最大の要因だと、オサムは結論づけました!
皆さんは、「呪力」についてどう思いますか?
ぜひコメントであなたの考察も聞かせてください!
オサムでした。
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