【鬼滅の刃 考察】「全集中の呼吸」のルーツは神道にあり? 「ヒノカミ神楽」と『日本の神社200選』から紐解く神事の世界」
- Ka T
- 11月14日
- 読了時間: 4分
こんにちは!漫画ブロガーのオサムです。
『鬼滅の刃』、何度読んでも胸が熱くなりますよね。
個性豊かなキャラクターたち、宿敵・鬼との死闘…。その戦いの中核をなすのが、ご存知**「全集中の呼吸」**です。
鬼殺隊士たちは、この特殊な呼吸法によって身体能力を極限まで高め、鬼と渡り合います。
僕は思いました。この「呼吸法」、単なる漫画の中の架空の設定なのでしょうか?
本棚の『日本の神社200選』を眺めていたら、ピンと来たんです。
この「全集中の呼吸」のルーツ、特に主人公・炭治郎の「ヒノカミ神楽」には、日本古来の**「神道(しんとう)」**の世界が深く関わっているのではないか、と。
今日は、その繋がりを深掘り考察してみたいと思います!
鍵を握る「ヒノカミ神楽」と「神事」
作中で最も重要な鍵となるのが、竈門家に代々伝わる「ヒノカミ神楽」です。
これは「耳飾りと共に、決して途絶えさせてはならない」と、炭治郎が父から受け継いだものでした。
この**「神楽(かぐら)」**という言葉こそ、最初の大きなヒントです。
「神楽」とは、日本の神道において、神様に奉納するために行われる歌や舞のこと。つまり、**神々をお招きし、楽しんでいただくための神聖な儀式(神事)**なんです。
『日本の神社200選』に載っているような、伊勢神宮や出雲大社、その他全国の多くの神社では、今でも五穀豊穣や無病息災を祈って、様々な神楽が奉納されています。
炭治郎の父が「ヒノカミ神楽」を舞うシーンを思い出してください。彼は病弱な体でありながら、厳寒の雪の中で、一晩中舞い続けます。
これこそが「神事」なんです。
神様への奉納は、生半可なことでは務まりません。それこそ、極限の集中力と体力が求められます。
「呼吸」と「集中」は神様と繋がる作法
では、なぜそれが「呼吸」に繋がるのでしょうか。
神道や、日本の古武術、あるいは瞑想などにおいて、「呼吸」は非常に重要な役割を持ちます。
神社の参拝で、まず「手水舎(ちょうずや)」で手や口を清めるように、呼吸を整えることは、自らの**「心身を浄化する」**行為とされます。
深く、静かに、一定のリズムで呼吸をすることで、雑念を払い、精神を統一する。
これって、まさに**「全集中」**の状態ですよね?
炭治郎の父は、「ヒノカミ神楽」を舞う際、「息の仕方を工夫するんだ」「そうすれば、いくらでも舞える」と語っていました。
これは、神事という極限状態の中で、心と体を最適化するための「呼吸法」が編み出され、それが竈門家に伝承されていったことを示唆しています。
「全集中の呼吸」とは、神事を行う神職や舞手が、神様と繋がるために自らを研ぎ澄ませてきた**「儀式用の集中法」**が、鬼を滅するという戦闘目的に昇華されたものではないでしょうか。
自然の力を取り込む「呼吸」
さらに、『鬼滅の刃』の呼吸法は、「炎」「水」「風」「雷」「岩」といった、すべて**「自然」**に基づいています。
『日本の神社200選』を見ていてもわかる通り、日本の神道は、もともと**「自然崇拝(アニミズム)」**が原点です。
山や川、岩や木々、それらすべてに神が宿ると考えられています(例えば、大神神社は三輪山そのものがご神体ですよね)。
鬼殺隊士たちが使う「呼吸」とは、神道の精神の根底にある「大自然への畏敬」をベースに、その自然の力(=神々の力)を自らの体に取り込み、技として顕現させる方法論なのかもしれません。
炭治郎の「ヒノカミ神楽」=「日の呼吸」が、他のすべての呼吸の始まりであるというのも、日本の神話で「太陽神」である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が最高神とされることに、通じるものがありますよね。
まとめ
『鬼滅の刃』の「全集中の呼吸」は、単なるフィクションの力ではありません。
• 神様に奉納する「神楽」という神事。
• 神事のために心身を研ぎ澄ます「集中」と「呼吸法」。
• 大自然の力を尊び、取り入れる「神道」の精神。
これら、日本に古来から伝わる精神文化が、あの「鬼滅の刃」という物語の、最も熱い部分を支えているんです!
そう考えると、炭治郎たちの一振り一振りが、単なる戦闘ではなく、神聖な「鬼(=穢れ)を祓う神事」のようにも見えてきませんか?
いやあ、日本の伝統と漫画の融合、本当に奥深いです!
オサムでした。
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