【小説】エルザ 「腐蝕の聖女と死にたがりの騎士」5/8
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腐蝕の聖女と死にたがりの騎士
第5部 底辺:暗闇の抱擁
8. ゴミ捨て場の恋人たち
そこは、世界で一番汚い場所だった。
帝都の地下深くに広がる廃棄層「タルタロス」。
何百年分もの生活排水、工業廃液、そして失敗した魔法実験の成れ果てが堆積し、鼻が曲がるほどの腐臭が充満している。
そのヘドロの海に、ボロ布のように横たわる影があった。
エルザだ。
落下した衝撃で全身の骨が砕けているはずだが、痛みは遠かった。それ以上に、心が死んでいた。
「……あ、あ……」
彼女は動かない右手を見つめた。
皮膚が焼けただれ、黒い肉が露出している。
脳裏に焼き付いているのは、モニター越しに聞いた民衆の悲鳴。「化け物」「汚らわしい」。
(ああ、そうだ。私はゴミだもの。ここがお似合いよ)
涙さえ出ない。涙腺も腐ってしまったのかもしれない。
彼女は泥の中に顔を埋めた。このまま沈んで、誰にも見つからずに溶けてなくなりたい。
その時。
ズリ、ズリ、と何かを引きずる音が近づいてきた。
「……いたたた。さすがに今の高さは効きましたね。背骨が粉砕骨折して、肺に肋骨が刺さっています」
ガラハドだった。
彼の姿も凄惨だった。自慢のプレートアーマーはひしゃげ、手足はあり得ない方向に曲がっている。再生能力が追いついておらず、血の泡を吹きながら這いつくばっていた。
「……なんで」
エルザが掠れた声で問う。
「なんで来たのよ。……馬鹿じゃないの」
「馬鹿とは失敬な。私はただ、貴女という『最高の死刑台』を逃したくなかっただけですよ」
ガラハドは這いずり、エルザの隣まで来ると、仰向けに転がった。
「それに、ここなら誰にも邪魔されません。……さあ、聖女様。どうか私に、トドメの慈悲を」
「……できない」
エルザは顔を背けた。
「私を見ないで。汚い。臭い。……私はただの廃棄物なのよ」
「ええ、知っています。酷い臭いだ」
「なら……ッ!」
「ですが、貴女が気にしているのはそこですか?」
ガラハドが、動かない腕を無理やり持ち上げ、エルザの頬に触れた。
ジュッ。
エルザのただれた皮膚に触れた瞬間、ガラハドの指先から煙が上がった。
皮膚が溶け、指紋が消え、肉が炭化していく。
常人なら発狂するほどの激痛。
「……ああ」
しかし、ガラハドは恍惚としたため息をついた。
「温かい」
エルザが目を見開く。
「……ガラハド......」
「ずっと、寒かったんです。不死の体になってから、痛みも、寒さも、熱さも、すべてが薄い膜の向こう側にあるようだった。……でも、貴女の毒は違う」
ガラハドは、腐り落ちていく指で、愛おしそうにエルザの醜い顔を撫でた。
「貴女に触れている部分だけが、鮮烈に痛む。細胞の一つ一つが『死にたくない』と悲鳴を上げ、同時に『死んでいく』安らぎを感じる。……これこそが、私が求めていた『生の実感』だ」
狂っている。
この男は完全に狂っている。
私のコンプレックスを、私が最も憎む「腐敗」を、この男だけは「温もり」だと言うのだ。
「顔をよく見せて下さい。私の聖女様。」
エルザは半身を起こした。
「……骨が見えてるわよ」
「慣れています。いつもの事です。」
「痛くないの?」
「何度言わせるんですか......痛いですとも。最高に」
エルザの目から、ポロポロと涙がこぼれた。
その涙がガラハドの胸板に落ち、鎧と皮膚をさらに溶かしていく。
「……馬鹿な男。私のせいで、いつもボロボロじゃない」
「聖女様。鎧は修理代のツケが.......」
エルザは、構わず自分からガラハドの首に腕を回した。
抱きしめる。
全身が触れ合う。
ジュワワワワワッという凄まじい溶解音が響く。二人の体が煙に包まれる。
溶ける端から再生し、再生する端から腐る。
それは、終わらない死と、終わらない生の、激しいせめぎ合いだった。
(ああ、なんて心地いいんだろう)
エルザは思った。
世界で唯一、私が触れても腐らない、
私が全力で腐らせても、笑って受け入れてくれる男。
暗闇の底で、二人は泥と血と腐敗にまみれて口づけを交わした。
それはどんなおとぎ話の王子様とのキスよりも、痛くて、臭くて、そして甘かった。
(第6部へ続く)




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